少年時代
美香ちゃん
僕が幼稚園児のときの話し。
美香ちゃん(名前を忘れたのでとりあえず美香ちゃんにする)と遊んだ時の思い出。
僕は埼玉県の蕨市で幼少をすごした。
家のすぐ近くで、小学3年の美香ちゃんと遊んだ。
幼稚園児の僕が小学3年生と、しかも二人で遊ぶのは初めて。
美香ちゃんは、ある家の壁にゴザを立てかけた。
当時、ゴザはオママゴトなど、子供たちにとってはなくてはならない遊び道具。
美香ちゃんは、そのゴザを地面に敷くのではなく、家の壁に立てかけたのだ。
ちょうど僕と美香ちゃんの二人がすっぽり入るように。
つまり、僕と美香ちゃんだけの二人の空間ができた。
僕はなぜか美香ちゃんに飛びついた。
男の本能が目覚めたか。
「キャー」
女の子らしく悲鳴を上げるとともに、ゴザが倒れた。
すると美香ちゃんは、またゴザを立てかける。
美香ちゃん自身と僕を包み込むように。
そしてまた僕は、美香ちゃんに飛びつく。
まだ可愛い園児だったから胸とかお尻の意識はなく、
背中あたりに飛びついたと思う。
ゴザを立てかけては、僕が飛びつき、
「キャー」
ゴザが倒れて、また美香ちゃんはゴザを立てかける。
何度かそれを繰り返した。
お昼になって(ということは午前中だったのだ)
いったん家にお昼を食べに帰った。
父親がいたので、たぶん日曜日だったのだろう。
僕は急いでご飯を食べて、
「美香ちゃんと遊んでくる」
と、両親につげた。
「美香ちゃんと遊ぶのか」
と、父親が言ったような気がする。
ろくに食べもしないで、
午前中美香ちゃんと遊んだところに行ったのだが、
美香ちゃんはいない。
しばらく待っていたが、
美香ちゃんは現れなかった。
一家心中
小学校二年の時のお話し
僕は二年二組だった
T君は二年一組
そのT君一家がガスで一家心中を図ったのだ
今では都市ガスでは死ねないが、
まだ当時はガス自殺が多かった
一年生の時もクラスは違ったので
T君とは喋ったこともなかったが
家は近所だった
T君は当時でも珍しい四人兄弟だった
たぶん三番目
父親が経営する会社が倒産したらしい
僕の母親は泣いていた
(なんで友達でもないのに泣くのかなぁ~)
と、小学二年の僕は思った
「すっごく綺麗なお家なのよ」
行ったこともないくせに母親がそう言った
「ベルトコンベアある?」
覚えたての言葉を僕はつかったようだ
今の子供たちならどう感じるかわからないが、
僕を含めて当時の小学二年生程度では、
(死んじゃったのか)
ぐらいにしか感じなかった
次の日、いつもどおり学校があった
僕らの担任は大塚先生
三十路をすぎていたがお嫁さんはまだだった
朝の一時限目、
その大塚先生が物凄い神妙な顔で教室に入ってきた
教壇に立った瞬間
「ウワァーーン」
泣き崩れた
ポケットから白いハンカチを取り出し、口に当てて号泣した
「どうしたのー」
「先生、どうしたのー」
二、三人から声が上がったが、僕はピンときた
大塚先生は、T君が一年の時担任だったのだ
うわさでは子供のうち二人ぐらい助かったようだ
布団をかぶって助かったらしい
でも、ガスを吸い込んだので...
T君が助かったかどうかは分からない
凄い転校生
小学校2年のとき、本間君がどこからか転校してきた。
でっかい奴だった。
転校してきたばっかりの日に、横チンと喧嘩して横チンを泣かせた。
横チンは僕の友達で体も大きく、クラスの中で一番強かったと思う。
その横チンが泣かされたのだから、凄い奴が転校してきたと思った。
数日後の体育の時間、準備体操か整理体操のとき、
本間君は僕にちょっかいを出してきた。
屈伸運動で横に広げた手を僕のアゴに当ててきたのだ。
すると僕の歯はグラグラした。
だけど、僕は背も小さく、とてもかなわない。
何しろ横チンを泣かせた奴だから。
ここは逃げるしかなかった。
体育の時間が終わったとき、僕は一目散に教室に帰った。
誰もいない教室で、本間君の机から図画工作の教科書を抜取り、自分のランドセルに隠した。
(ざまあみやがれ)
学校が終わって、僕は一人で帰宅した。
途中、回り道をして、家の近くのドブ川に本間君の図画工作の教科書を捨てた。
(まいったか)
家に帰るといつものように母親が僕を迎える。
僕は、すぐにその一部始終を母親に話した。
川に教科書を捨てたことも話した。
(何ですぐ話しちゃったのか。罪悪感をかんじたのかな)
すると母親が、
「ばかだね。抜けそうな歯だったんだよ」
そして、教科書を捨てたどぶ川に母親を連れて行った。
川に捨てたといっても、土手のところに落ちていてすぐに見つかった。
それを家に持って帰り、母親が雑巾か何かできれいに拭いて、
「明日、渡しなさい」
と、言った。
次の日の朝、学校に着くともう本間君は来ていて、
僕は本間君のところへいき、
「これ、きみのだろう」
と、図画工作の教科書を渡した。
流石にこのときは、(僕はなんて調子いいんだ)と、自分でも感心した。
本間君は、
「ああ、探してたんだよ」
感謝された。
それ以来、僕は本間君と友達になった。
クラスで一番強い奴と友達になった。
裏切り
それ以来、僕と本間君はいつも一緒に帰った。
僕は無口でおとなしくて勉強も体育もあまり出来ない。
本間君はデカくて活発で、たぶん勉強もできたと思う。
今振り返ると、小学生時代は、横チンや本間君のように、
デカくて勉強も体育も出来る奴が友達だった。
いつも本間君の家によって、少し遊んでから自分の家に帰った。
確か本間君の家は、牛乳屋さんだったと思う。
そんなある日、本間君の妹が家の前でトラックに轢(ひ)かれて死んだ。
たぶん、幼稚園児だったと思うが、なぜか僕は一度も合ってなかった。
夕刊に出ていたような記憶もある。
その後も僕と本間君は、学校が終わると一緒に下校し、
本間君の家に寄った。
仏壇があったけど、妹の写真はなかった。
父親には何度か合ったけど、母親を見たことがなかった。
そして、数週間後、いつものように一緒に帰った。
途中まで行った所で、左に曲がると本間君の家。
まっすぐ行くと僕の家。
いつもは、左に曲がって本間君の家によるのだが、
この日はなぜか、僕はまっすぐ歩いてしまった。
本間君が、
「おおーい、こっちだよ。」
僕は、ちょっと振り返り、だけどまっすぐ歩いた。
その数日後、本間君はどこかへ転校してしまった。
本間君が僕の小学校にいた期間は、たぶん2,3ヶ月だったろう。
その数ヶ月のあいだに、妹をなくし、唯一の友達である僕に裏切られた。
何故僕は本間君を裏切ったのか、よく覚えていない。
いいほうに考えれば『別れがつらかった』、とも考えられるが。
たぶん、たんなる『気まぐれ』だろう。
本間君へ
僕は君に謝りたい。
サヨナラも言わなかったからね。
もし、これを読んだら許してほしい。
<細かいことを色々覚えているが、”本間”という名前がちょっと自信がないのだが>
片目のジャック
ボバンボバンボンブンバボンバボン、ボバンボバンボンブンバボン
いつもおいらは泣かない・・・・
『オオカミ少年ケン』という漫画があった。
その中に『片目のジャック』っていうかっこいいオオカミがいた。
たぶん小学三年のときのできごと
大野直美(仮名)と言うクラスメートのお話し
大野さんは、片方の目が細くなっていたので、
みんなが影で『片目のジャック』と言っていた。
僕も影ではそうよんでいたが、
苛められるような子ではなかったので、
おそらく面と向かって言った奴はいないだろう
そんなある日、学校で視力検査があった
それは、教室で行われた
机と椅子を端に寄せて、視力検査が始まった
大野さんの番
大野さんはめがねをかけていた
めがねをしている子は、めがねをしたままと裸眼の二回測る
めがねでの検査が終わり、大野さんはめがねをはずした
細い目のほうの視力を測り出した
一番上の大きい字が見えない
一歩前に進んだ
まだ、見えない
もう一歩前に進んだ
まだ、見えないらしい
さらに一歩進んだ
「ウワーーン」
まさに号泣だった
僕はびっくりした
クラスのみんなもびっくりしただろう
ふつう、女の子が泣く時はメソメソだ
それが、声を上げて泣き崩れたのだから...
みんな何も言わなかった
先生も何も言わなかった
その後のことは良く覚えていない
ただ、それ以来だれも、『片目のジャック』なんて言わなくなった
潔白
小学校四年のときの話し
クラスで盗難事件があった
給食袋のお金が盗まれたのだ
大関F子のが盗まれた
大関さんは泣いていた
これが初めてではない
三回目ぐらい
つまり、大関さんが三人目の被害者
今考えると不思議だが、給食袋などのようなお金の入った袋は、
朝学校にくるとすぐに、教壇の近くに掛けられた大きな袋に入れていたのだ
たぶん、悪い奴がいなかったので、それで通っていたのだろう
これではいかんと、お金の入った袋は、
直接担任の立川先生(仮名)に渡すことにした
一度目の盗難事件でそうしていれば、
二度目三度目がなかったのに...
いずれにしてもそれ以来、盗難事件はなくなった
しかし、数日後いやなことが起こった
立川先生が帰りのホームルームでこんな話しを始めた
「犯人はわかった。帰る前に先生のところに来なさい」
いつもは見ない僕の顔をチラッチラッと見ながら
「犯人はわかった」
と、言ったのだ
僕は潔白だから、ココで目をそらしたら怪しまれる
じっと先生を見て聞いていた
最後に先生は、
「今、こうして話している間にも犯人と目が合っているけど...」
なんて言うんだ
僕は小学二年のときに近くのスーパーなどでかっぱらいをよくしてたが、
三年のときにちゃんと足を洗っている
一度もバレてない
ましてや、級友の給食費を盗るなんて
◇
立川先生は『誘導』したのだ
犯人がわかったわけではないのに、怪しい人物にめぼしを付け
チラチラ視線を送りながら
「犯人はわかった。後で来なさい」
と、言ったのだ
疑いの中に僕が含まれていたと言うことだ
小学四年の僕にも
(カマをかけてるな)
ということが容易に分かった
僕はそれほど傷つきはしなかったが、
感受性の強い子なら、きっと傷ついたことだろう
恩人
中学一年の時、
丸山信一と田中光一と三人でサイクリングに出かけた。
千葉県の手賀沼か印旛沼あたり。
帰り道で僕は、歩道から車道にいきなり飛び出してしまった。
キィーーー
凄い急ブレーキ。
危うく轢(ひ)かれそうになった僕は、九死に一生を得た。
その急ブレーキの音と車の止まり方からして、
本当に危機一髪だったと思う。
そして、運転してた人が素晴らしい反射神経の持ち主だったことが想像できる。
もしもオバさんだったら、僕は完全に轢(ひ)かれていただろう。
いや、普通の人でも、仮に今の僕が運転していても
轢いてしまっただろう。
最悪なら『死』、よくても重傷。後遺症が残ったかもしれない。
植物人間になったかもしれない。
でも、まったくの無傷で終わった。
運転してた人は、びっくりした顔で僕のほうを見ていたが、
しばらくして、何事もなかったように車を走らせて行ってしまった。
怒鳴られても、殴られても不思議ではなかったのに。
この人のおかげで僕は今も元気で生きているようなものだ。
もちろんこの人がどこの誰かは分からない。
だから、御礼を言うことはできないが、
別の形で世の中に恩返しをしたいと思っている。